ケヤキの仙人

ケヤキ仙人・イメージ街中の雑踏をほんの数分離れると、そこは水鳥遊ぶ静かな公園の湖。やんちゃでも美しい白鳥、人懐っこい黒鳥達は今日も元気に湖面でバトルを繰り返しています。

その中に一羽だけ、温和な黒鳥や小さな可愛い鴨をガーッガーッ!と唸りながら突進して蹴散らす海賊のようなコブ白鳥がいます。どうやらこの湖に昔から棲む主らしい。羽はちょっと汚れてるし頭には大きな瘤がある。この種類は一羽だけなので寂しいのでしょう。まるでボスのように振舞うこの海賊ホワイトキッドのような白鳥には気をつけなくちゃ、と身を引き締めた。

ところが、海賊ホワイトキッドさえも一枚の木の葉を水面で見た途端におとなしくなるそうだ。何の葉っぱなのでしょう?正体はケヤキの木の葉でした。ケヤキにしては随分と大きな葉っぱです。この木に会いたい、という好奇心が頭をもたげる。そこで、居場所を風に聞きました。すると湖を吹き渡る風が『向こうだよ。』と優しく吹き寄せて押し示してくれました。

湖南の坂道を百メートルも登り詰めないうちに、空が薄暗くなった気がしました。何気なく左の空を見上げると「オォーッ!」です。思わず大声を上げてしまったのです。たった一本だけのケヤキの巨木ですが、とにかく圧倒されてしまいました。
「安易に近づけないぞ!」
と、いう防衛本能に気持ちが支配されました。ケヤキは三百年近く生き続けて保存樹に指定されていました。大き過ぎて恐怖です。体がブルッと震えます。戻ろうか、とさえ思いました。

それでも、先入観を克服し落ち着いてよく見ると、梢の上には古式の小さなハープを手にした可愛い小さな天使たちが鳥の音色に合わせて、きれいな曲を奏でているではありませんか。枝に腰掛けて歌ってる天使もいれば、葉っぱに胡座(あぐら)をかいて、小首を振り振りしているのもいます。なんと愛らしく清らかなのでしょう。ここでは、巨大樹木そのものが、ちびっこ天使たちの公園になっていたのです。余り多すぎて、どれが天使でどれが小鳥か見分けがつきません。恐る恐る太い幹に近づこうとしたその時です。

「わしに何の用かな?」
稲妻のように天から太く響く声がします。不意を打たれたわたしは
「あの、すみません。」
としか言えません。巨大樹木ケヤキは繰り返してきます。
「わしに何の用かな?」
震え声で、言ってみました。
「きっとあなたは親切な樹に違いありません。なぜなら、小鳥と天使たちを寛大に迎え入れているんですもの。」
わたしの精一杯の答えにならない答えです。さらに
「それで?何の用かな?」
と、またまた繰り返す雄大な一つの森にさえ見えるケヤキに押しつぶされそうになりました。でも、奮い立ち、後ずさりしながらも質問することにしました。
「用事は・・・長い間、世の中を見てきたあなたの座右の銘を、一言教えてください。」

答えてくれそうにもない偉そうな樹齢三〇〇年の巨大樹に対し誤謬(ごびゅう)を犯したかもしれないから引き揚げた方が賢いかも、とわたしは逃げ腰です。ところが、ザアーッ!と言う葉の漣(さざなみ)と共に威厳に満ちた声が樹の頂から響いてきたのです。
「威厳に過ぎるは孤独の始まり、弱きものを受け入れよ。そこに喜びがある。」
答えてくれたのです。

仙人のような巨大樹ケヤキは、小高い丘から生きているものが寄り集う湖を一望しながら、ひとり孤独を余儀なくされても長きにわたって自らの環境を甘受し、克服して生きてきたのです。沢山の人や生き物や植物の死に絶えるところを見て来たに違いありません。真の強さなのでしょう。周辺の生き物たちは彼を恐れたり、あるいは助けられたりしてきたのでしょう。

湖の海賊のようなコブ白鳥ホワイトキッドにとっては、弱い者いじめを抑える時のサーモスタットのような役割を果たしているようです。何にでも名前をつける癖があるので、わたしはこの大樹を天使のお宿の「ケヤキ仙人」と呼ぶことに決めました。
「ありがとう。学びます。」。

感謝してからケヤキ仙人と別れて坂道をさらに登ると、丘から彼の緑の頂きが見えました。上ではハープを持った天使たちが木の葉の固まりを滑り台にして、キャッキャッ!と虹色の声を出して楽しそうに遊んでいました。

晴れた午後、昼寝をしていると賑やかな聞き覚えのある楽しそうな声がするので、起きて部屋の北東の窓から外を見てみました。すると、緑の木の葉から東風に乗って飛び立ち、我が家の隣にある、まだ緑だけの背高ノッポの向日葵の上まで競争している例のちびっこ天使たちがいるではありませんか。
でも、不思議なことに気が付きました。
『あのダビデの竪琴のようなハープをどこに置いてきたのかしら。』
今日は小さな手に何もないのです。

もしや、どこかに置き忘れてきたのかしら?奏でる者に笑顔をくれそうなハープだから、湖にまた下りながらハープを捜しに行こうかな?などと、好奇心に駆られる初夏の美しく楽しい午後です。

ケヤキ仙人が厳かに言いました。
あなた方の見ている樹木はあなたの仲間!一緒の惑星にいるからね。
私たちの緑が輝けば、共に住むあなた方も美しく輝く。
だから、自然を慈しみ大切にしておくれ。
あなた方もこの自然界の一部なのだから!

(written by 徳川悠未)