猫に恋した紅アザミ

アザミの気持ちイメージ早朝の通り雨で、生き生きと輝きを放つ白いバラのアーチの足元の片隅。植えた覚えがないのに、一本の紅アザミがひっそりと咲くようになって二週間が過ぎている。既に咲き切った花も二つ三つしぼんで花生涯を終えている。

昨日は、元気に咲く紅色の姿に魅了されて挨拶をしたくなり、腰をかがめて眺めてみた。すると、蕾の一つが今や開かんとしていたのだった。じっと待つこと一時間。その時が来た。大きな世界における小さなその瞬間は、マッチの先から炎が花火に点火し、パチパチ!と弾かんばかりに真紅の細い線が拡散するような素晴らしい感動のひと時だった。

ところが、今朝は様子が違っている。昨日と違うのは、雨に濡れたせいだけではなさそう。蕾が弾けるとき、哀しみの淵からようやく涙を絞り出すかのようにして雨粒を流しています。屈んで尋ねてみた。
「どうしたの?」

紅アザミはうつむいたまま答えてくれません。その時、奥の白いくちなしの木陰から、「カサッ!」と、言う音と同時に一匹の猫が現われたかと思うと「スッ!」と、目の前を横切り消えてしまいます。見慣れない猫なので、野良猫に違いありません。 しかし、白と茶のコントラストが上品で、均整の取れたしなやかな姿はどこかヒョウを彷彿とさせる猫です。アザミに目を移して見ると「ポツン!」と真紅の涙の源から語りだします。
『あの方です。あの方が・・私の憧れになってしまいました。』
「えっ!あの野良猫?いや、え~と、さすらい猫のことですか?」
驚きの告白に、わたしはうろたえます。つい、畳み掛けるように
「アザミさん、貴女の周りには貴女と同じ植物たちの仲間が大勢いるじゃありませんか。まさか、紅アザミの貴女が、猫に恋をしたと言うのですか?」
と大きな声で責めるような言葉を発してしまう。紅アザミは、突然うなだれていた花首を持ち上げて、挑むように訴えてきました。
『私には、歩ける足がないから、釣り合わないと言うのでしょうか?』。

庭の主のわたしは返答が出来ません。わたしの思いにあるのは、アザミが実るはずもない恋に苦しむのを眺めたくない、それだけでした。なぜなら、ロミオとジュリエットどころではありませんから。何も言わなくなったわたしに、アザミはさらに語り始めます。
『この庭園では、見事な仲間ばかりです。私に振り向く生き物は誰もいませんでした。みつめてくれるのは、私の葉っぱのトゲに誤って触れたときだけです。しかも、眉をひそめるのです。でも・・・でも、あの方だけは、別でした。みつめて、触れて、振り向き、優しい眼差しを投げかけるのです。』

「そうだったの。アザミさん、あなたは・・・幸福ですか?」
と、聞いてみた。すると、激しい悲哀感に満ちた苦悩は、塗炭の苦しみだったのでしょう。 真紅の血が滴り落ちるように、咲き始めたばかりの赤く細い線のような花びらが一枚静かに舞い降りました。そして一言漏らしたのです。
『明日には、枯れるかも知れないほどです・・・。』。

わたしには、それ以上交わす言葉もみつからず、立ち上がりました。帰り際に、頭上のアーチで香っている白バラさんに思わず頼ってしまうのです。
「アザミさんを助けてあげてね。お願い。」

わたしは、自分の口を衝いて出たこの一言に、無力さとガーデンの管理責任を放棄する我が身を恥じました。そして、夜は更けたのです。

翌朝、雲間から差し込む陽光の中に何ということでしょう。紅アザミは活力に満ちて弾けるように咲いています。いったい、なにがあったのでしょう!
事情を知りたくて、紅アザミへと急いで近づき屈むや否やのことです。アザミはソプラノ・トーンで唄うように告げ始めたのです。
『昨夜、白バラさんに大変お世話になりました。悲しみも苦しみも、雨が洗い流してくれた気分で清々しく、私は幸せいっぱいになりました。』
驚いて、アーチの白バラの方を眺めて耳を澄ますと、バラの彼女はクリスタルで香り豊かな声で一言だけ答えてくれました。
『紅アザミさんに、エゴを捨ててみたら?と話しただけです。』
「エゴ?エゴを捨てる?是非、もう少しだけ説明してもらいたいわ。」
わたしの要望に白バラは簡潔に答えました。
『愛する猫からの愛情を期待するから苦しむ。自分にもっと関心を向けて欲しい、との欲望があるから苦しむ。だから、アザミさんに、そんなエゴを捨てて・・唯、愛を与えるだけにするように話したのです。』
と、微笑みながら白い花首を優雅に揺らす。

紅アザミの方は、またしても同じ音色で弾むように語るのです。
『私は、あの方に何の見返りも望みません。見ているだけで幸せですから。』
そして、紅色に微笑んだのです。

わたしは部屋に戻ってから、昨日と今日の出来事を分析してみました。そして、白バラに感謝しつつ、分析を中止し安堵に満たされることにしました。
『この分なら、紅アザミさんは、初秋まで真紅の花をより美しく咲き誇ることでしょう。そして、来年の春も、きっと咲く。よかった、よかった。』。

その後、わたしは愛しい小さな庭の世界に向けてひとり語り、朝摘みをしたミントのお茶をゆったり楽しめたのです。「愛」についてなどを、少しは考えながら目にしみるほど真っ青の空を仰いだのでした。

紅アザミが明るく囁きました。
私とあなた方を取り巻く美しい自然環境!それは、私たち自身。
美しい自然全体が輝けば、私たちも美しく輝ける。
だから、自然を慈しみ大切にしましょうね。
共に自然環境から恵みを受けるために!

(written by 徳川悠未)